チーム・ネタジの会員がスピーチを行いました。

チーム・ネタジの主要な会員の一人であるロハン・アガラワル氏が、2015年8月15日に靖国神社境内で行われた「終戦70年若人の集い」で、インド代表としてスピーチを行いました。主催者によるスピーチの和訳文を掲載します。


インド代表スピーチ
ロハン・アガラワル(Rohan Agrawal)
チーム・ネタージ代表、ヒンズー篤志家協会(HSS)日本代表

タイトル:「英霊と、インド独立を支援して下さった日本の皆様へ」

この度、「英霊と、インド独立を支援して下さった日本の皆様への感謝」というテーマでお話しできる機会をいただき、主催者の方々に厚く御礼申し上げます。

インド人と日本人の多くは、日印両国の絆が8月15日という日で結ばれている事を知りません。連合軍東南アジア最高司令官および独立国インド連邦の初代総督のルイス・マウントバッテン卿は、1947年にインドの独立を承認しました。それは、第二次世界大戦での日本の降伏を受け入れた日と同じ8月15日のことでした。

しかし、戦後インド国民は何世代もの間、戦時プロパガンダの情報を真実だと受け止めてしまったせいで、歴史の真実を知ること無しに、今日に至っています。 インドにとっての不幸は、本来チャンドラ・ボースが得るべき、日本軍の支援を受けた戦いによる功績を、彼の政敵(せいてき)に奪われてしまった事です。

歴史の真実は、実はこの靖國神社に留(とど)め記(しる)されています。靖國神社の遊就館には、ボースが率いたインド国民軍の戦友会(せんゆうかい)事務局長を務めるS.S.ヤダバ インド国民軍大尉(たいい)が、1998年に書いた手紙が展示されており、その中に、次のような言葉が残されています。インドの自由のために戦ったインド人たちの(日本軍に対する)感謝の思いです。

「我々インド国民軍の将兵は、共に戦った戦友として日本帝国(ていこく)陸軍(りくぐん)将兵に対し、最も深甚(しんじん)なる敬意を表します。インドが独立解放を勝ち取るために、日本軍将兵は、インパールとコヒマでの戦いで、その尊い命を捧げ、散華(さんげ)されました。インド国民は永遠に、散華(さんげ)された日本のご英霊に感謝の誠(まこと)を捧げ、彼らの御霊(みたま)が永久(とわ)に鎮(しず)まりますことをお祈り申し上げます」

インド国民軍のG.S.デロン中佐は、1945年に戦犯としてデリーで裁判にかけられました。しかし、インド民衆の怒りを目にしたイギリスの統治者は、戦犯容疑者を釈放。デロン中佐も無罪釈放となりました。この裁判は、ニュルンベルグ裁判と東京裁判を除けば、第二次大戦後でいわゆる「戦犯」が無罪釈放となった唯一の裁判でした。

日本人の捕虜全員が、インドの自由解放という大義のためにインド人を助けたのだと証言、そして証明したことが釈放に至った背景にあったのです。1998年にデロン中佐は、「日本人がしてくれた行為への恩義は永遠に忘れない」と、回想録に記しています。

日本軍の支援によってインドが独立に至ったことは、いまや多くの証拠が物語っています。公開された入手可能な機密情報には、「日本軍の支援によりインド国民軍が大英帝国に反撃し多大なダメージを与えたことで、イギリスがインドの独立解放を余儀なくされた」と明示されています。

ロンドンの国立戦争博物館が、インパールとコヒマでの戦いを「イギリスの最も偉大な戦闘」としていることは、特筆に値します。イギリスのクレメント・アトリー首相は、1956年にインドを私的訪問した際に、次のように語っています。「ネタージ(つまり、チャンドラ・ボース)のインド国民軍とイギリス領インド軍の将兵による反乱行動により、イギリス政府は、もはやインドをイギリス領として保有し続ける事はできないと、悟らせた。インド人にとって、散華(さんげ)されたインド国民軍のインド兵と日本軍将兵の双方に、最高の栄誉を与えることが重要だ」、とこのようにアトリー首相は言及しています。

インド独立への日本の支援は、インド国民軍を創設したラース・ビハリ・ボースが、”大アジア主義”を掲げた頭山 満(とうやま・みつる)や犬養 毅(いぬかい・つよし)らによって匿(かくま)われた1915年に遡(さかのぼ)ります。日本軍に捕まったインド人捕虜は、インド独立連盟に加わるよう薦められ、インド国民軍の兵士となったのです。

1943年には、チャンドラ・ボースがインド国民軍を率いることになり、その類まれな統率力によって、元捕虜や、マレーやビルマにいたインド人国外(こくがい)追放者(ついほうしゃ)の志願兵を組織していきました。インド国民軍は、日本軍と共に、ビルマ、インパール、コヒマといった戦場でイギリス軍と戦ったのです。

1945~46年に行われたインド国民軍兵士の公開裁判は、インド独立運動の機運(きうん)を高める契機となりました。1946年に起ったイギリス領インド軍におけるボンベイでの反乱をはじめ、その他各地(かくち)で反乱行動が広がったのは、裁判を経て無罪を勝ち取ったインド国民軍兵士たちがインド民衆の愛国心に火をつけたからでした。こうした反乱行動がイギリスによるインドの植民地支配の終焉を早める上で決定的な役割を果たしたと、歴史家は語っています。

本日、8月15日という日にあたり、我々チーム・ネタジはとても重要な事実をひとつお伝えしたいと思います。1945年、チャンドラ・ボースは、日本軍の四手井 綱正(しでい・つなまさ)陸軍中将とソ連へ飛び立ちました。1945年8月に台湾でチャンドラ・ボースが死亡したという情報は、実は、彼を無事にソ連に到着させるために、彼自身および日本軍が流したニセの情報だったことが、ムクヘルジー判事によって確認されています。

1946年9月、ここ靖國神社にもその碑があるパール判事は、チャンドラ・ボースの兄サラトに、こう伝えています。「東京裁判のアメリカの判事によって示されたアメリカの諜報(ちょうほう)活動(かつどう) 報告書には、チャンドラ・ボースは1945年8月に死亡することなく、無事に満洲に到着した」と書かれていた、と伝えていたのです。

1945年以降のチャンドラ・ボースの活動を人々が知ることができるように、インド政府が彼に関する全ての情報を開示することが重要ですが、日本政府もボースと共にソ連に渡ったとされる四手(しで)井(い) 綱(つな)正(まさ) 陸軍中将について検証し、情報開示をするべきと考えます。

最後になりますが、ここにお集まりの皆様に、我々チーム・ネタジより3つのお願いがございます。

  1. (まず)インド独立を支援下さいました靖國およびインドに眠る全てのご英霊に、皆さまの最大級の感謝の誠を捧げていただきたい。
  2. (次に)『バスデブ・クツンブカン(つまり、世界は一つの家族である)』との理念に常に従い、皆が平和に生き、必要とされる助けを万人(ばんにん)に提供しようではありませんか。
  3. (最後に)インド独立に貢献した偉大な指導者とその協力者を適切に讃(たた)えるために、各国政府に対し、今後も継続的にチャンドラ・ボースと四手井 陸軍中将に関する情報の開示を求めようではありませんか。それが、我々の英雄に対する唯一無二の正義の行いだからです。

ジャイ・ヒンド(=インド万歳)!ご清聴有難うございました。

インドは我々の母国!インド万歳!