国歌が生まれた背景

ネタジは1941年にドイツに来て「自由インドセンター」を設立しました。これは後の「インド軍–追放された軍–」であり、さらに後の仮インド政府につながっていきます。「自由インドセンター」は、ドイツ、イタリアそして日本に正式に認められました。

「自由インドセンター」は旗をもっていました。それは現在のインド国旗と似ていますが、真ん中に跳ね上がる虎が描かれています。そして、別れ際に「ジャイ・ヒンドゥ(インドに栄光を)」と挨拶する風習がもたらされました。ただ、「インド自由センター」に無かったのは国歌でした。ネタジは、議論の末ざまざまな選択を検討し、「ジャナ・ガナ・マナ」が国歌となりました。
1942年9月11日に、ネタジとハンブルク市長、外交官、政府高官や有名人の前でインド–ドイツ協会が発足しました。ここで、ドイツ国歌と「ジャナ・ガナ・マナ」が、ラジオハンブルク交響楽団によって演奏されたのです。

1947年8月15日、インドが独立したときに国歌はありませんでした。
1950年のニューヨークでの国連会議のインド派遣団員は、シンガポールで録音された「ジャナ・ガナ・マナ」を持参し、国連交響楽団に渡しました。そして、他国の国歌と同様に「ジャナ・ガナ・マナ」が流されたのです。
「ジャナ・ガナ・マナ」は、皆から称賛を受けました。インド派遣団が1950年1月第三週に帰国し、このことをネルー首相や閣僚たちに報告しました。そして、共和国記念日の1月27日まで時間がないこともあって、「ジャナ・ガナ・マナ」がインド国歌になったのです。