スバス・チャンドラ・ボースは、イギリスがインドを支配していた19世紀末に生まれ、1945年8月に48歳で突然に謎の失踪をするまで、インド独立のために活動を続けました。インドの独立は結局、ボースの死後でしたが、彼の活動は独立への道筋に大きな影響を与えました。インドの国会議事堂の中央大ホールには、ガンディー、ジャワハルラール・ネルーらの肖像画に並んでボースの肖像画も挙げられています。
また、日本とのかかわりも深く、当時の日本政府と交渉し、第二次大戦末期には、日本軍と共にインド進撃を試みています。ボースと同様に独立運動を行ったガンディーや、インド初代首相のネルーらと比較して、日本ではボースのことは知られていませんが、インドでは今でも絶大な人気があり、インドのみならず、日本やドイツ、イギリスなどにもボースのことを研究している人たちがいます。
近年−特に2012年から−その死に関する数々の疑問点を解明するため、インド政府機関に対し、ボースの死に関する公文書の公開を求める運動が沸き起こっています。ロシア、アメリカ、イギリス、そしてインド政府は、チャンドラ・ボースに関する機密文書を持っていることが記録されているのです。
「チームネタジ」は、ネタジを尊敬し、その功績や教えを後世に引き継ぎたいという熱い思いを持つ多国籍メンバーの集まりです。1930年代、ラス・ビハリ・ボースが創設し、ネタジが引き継いだインド独立活動を日本は支援しました。私たちは、ネタジのビジョンを通じてインドと日本の友好関係をより一層強化していきたいと考えています。
出自
スバス・チャンドラ・ボースは、1897年1月23日にジャナキナートとプラババティ・ボース夫妻の14人の子供の中、6男として、西ベンガル州(現オリッサ州)のカタク(Cuttack)で生まれました。
父のジャナキナート・ボースはカタクで長い歴史を持つ名家の出で、弁護士でした。彼は子供と距離を置きましたが、チャンドラ・ボースは自伝で、父に大きな影響を受けたと言っています。
父 ジャナキナート・ボース
母 プラババティ・ボース